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【徹底解説】すずめの戸締り ダイジンが何がしたかったか?目的や正体を考察

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新海誠監督による大ヒット映画『すずめの戸締まり』。
壮大な冒険と美しい映像、そして心揺さぶる物語は多くの観客を魅了しました。
しかし、その一方で多くの謎と議論を呼んだ存在がいます。
そう、謎の白い猫「ダイジン」です。

「すずめ、すき」「おまえは じゃま」といった短い言葉で主人公すずめを翻弄し、日本各地を巡る旅へと誘うダイジン。
その愛らしい見た目とは裏腹に、時に残酷とも思える行動をとる彼は、一体何がしたかったのでしょうか?

この記事では、「すずめの戸締り ダイジン 何がしたかった」という最大の疑問に答えるため、彼の目的、正体、サダイジンとの関係、そしてなぜ「かわいい」と「嫌い」という両極端な感想を生んだのかまで、物語の核心に迫る考察を徹底的に行います。
ダイジンの行動に隠された真意を知れば、この物語が持つもう一つの深いテーマが見えてくるはずです。

 

この記事のポイント4つ

  • ダイジンの真の目的は「すずめの子になる」という個人的な願いと、「要石」としての公的な役目の間で揺れ動いていた。
  • ダイジンの正体は元人間(子供)の可能性が高く、その行動原理は幼い頃のすずめの姿と深く重なっている。
  • サダイジンとの関係は「未熟な子供」と「成熟した大人」の対比であり、ダイジンの精神的な成長を促す重要な役割を担っていた。
  • 最終的に自己犠牲を選んだダイジンの物語は、映画全体のテーマである「喪失や災害と向き合い、乗り越えていくこと」を象徴している。

 

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『すずめの戸締り』ダイジンが何がしたかったのか?その目的を徹底考察

すずめの戸締り公式YOUTUBE参照

物語の序盤から終盤まで、ダイジンの行動は一見すると気まぐれで、矛盾しているように見えます。
しかし、その行動一つひとつを丁寧に読み解いていくと、そこには切実な願いと、逃れられない宿命との間で揺れ動く、複雑な目的が浮かび上がってきます。
ここでは、ダイジンが取った行動の裏にある真の目的を、段階を追って徹底的に考察します。

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ダイジンの第一の目的は「すずめの子になること」だった?

すずめの戸締り 公式YOUTUBE参照

ダイジンの物語は、すずめによって要石の役割から解放された瞬間から始まります。
九州の廃墟で、すずめが石のように固まっていたダイジンを引き抜くと、彼は猫の姿を取り戻し、一目散に走り去ります。
この時、ダイジンにとってすずめは、自分を永い孤独と束縛から解き放ってくれた「恩人」となりました。

その後、再会したすずめがダイジンにご飯をあげ、「うちの子になる?
」と問いかけるシーンは、ダイジンの行動原理を決定づける極めて重要な場面です。
この言葉に対し、ダイジンは「すずめ やさしい すき」と答え、心からの喜びを示します。

この瞬間、ダイジンの最優先事項は、日本の災いを封じるという「要石」の役目から、「すずめの子になる」という個人的で純粋な願いへとシフトしたと考えられます。
何百年、あるいはそれ以上もの間、ただじっと災いを抑え込むだけの孤独な存在だった彼にとって、すずめがくれた優しさと「家族になろう」という提案は、何にも代えがたい希望の光だったのです。
この「すずめと一緒にいたい」という強い想いが、彼のその後の全ての行動の根源的な動機となります。

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なぜ草太を邪魔者扱いし、要石に変えてしまったのか?

すずめの戸締り公式YOUTUBE参照

ダイジンの行動の中で、多くの観客が最も衝撃を受け、彼を「嫌い」だと感じるきっかけとなったのが、閉じ師である草太を椅子の姿に変え、要石の役割を押し付けた行為でしょう。
ダイジンは草太に対し、明確な敵意を込めて「おまえは じゃま」と言い放ちます。

この行動は、一見すると単なる子供の嫉妬心に見えます。
自分を解放してくれた大好きなすずめの隣にいる草太が、恋敵のように見えたのかもしれません。
すずめと二人きりになりたい、そのために邪魔な草太を排除したい。
そんな非常に幼い独占欲が「じゃま」という言葉に表れています。

しかし、この行動にはもう一つ、より複雑で重要な側面があります。
それは、ダイジンが「元・要石」としての責任を、無意識のうちに果たそうとしていた可能性です。
ダイジンは、自分が要石の役目を放棄すれば、災いである「ミミズ」が野放しになることを理解していました。
完全に自由の身になるためには、誰かに役目を引き継がせる必要があったのです。

そして、その代役として最も適任だったのが、代々災いを封じてきた「閉じ師」である草太でした。
つまり、草太を要石に変えるという行為は、「すずめの隣からライバルを排除する」という個人的な欲望と、「災いを防ぐための後任を確保する」という公的な責任が、奇妙な形で結びついた結果だったのです。
これは純粋な悪意というよりも、自身の願いを叶えるために、歪んだ形で責任を果たそうとする、未熟でアンバランスな子供の論理と言えるでしょう。

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旅の案内役?すずめを過去から解放したかったという目的

草太を要石に変えた後、ダイジンは日本各地を逃げ回るように移動し、すずめを翻弄します。
しかし、彼の移動ルートは、次に「後ろ戸」が開く場所と奇妙に一致していました。
愛媛、神戸、そして東京へ。
まるで、すずめが戸締まりの旅を続けられるように、先回りして案内しているかのようです。

最初はダイジンを追いかけていたすずめも、旅の終わりには「もしかしてずっと導いてくれてたの?
」と、彼の行動の裏にある意図に気づき始めます。
このことから、ダイジンには「すずめを後ろ戸が開く場所へ導き、戸締まりを手伝わせる」という目的があったと考えられます。

さらに深く考えると、この旅は単に物理的な戸締まりのためだけではなかったのかもしれません。
ダイジンがすずめを導いた最終目的地は、彼女が幼い頃に東日本大震災で母親を失った故郷、東北でした。
この旅路は、すずめが自身の心の奥底に封じ込めていたトラウマと向き合い、過去を乗り越えるための「魂の巡礼」でもあったのです。

ダイジンがそこまで意図していたかは定かではありません。
しかし、結果的に彼の気まぐれに見えた行動が、すずめを自己の解放へと導いたのは事実です。
彼はすずめを混乱させるトリックスター(いたずら者)であると同時に、彼女が成長するために不可欠な「導き手」としての役割も果たしていたのです。

なぜダイジンは痩せてしまったのか?愛と存在意義の関係

『すずめの戸締まり』の劇中で、ダイジンの姿は感情の起伏と連動するように劇的に変化します。
すずめに「うちの子になる?
」と言われ、優しくされると、彼は毛並みが艶やかでふくふくとした、愛らしい姿になります。
しかし、東京で草太が要石になってしまったことで、絶望したすずめから「大っ嫌い」と拒絶されると、ダイジンは見るも無残にガリガリに痩せ細ってしまいます。

この身体的な変化は、彼の存在そのものが何によって支えられているかを示す、非常に強力な視覚的メタファーです。
古来より、神や精霊といった存在は、物理的な食料ではなく、人々の信仰や祈り、感謝といった「想い」を糧にして力を得るとされてきました。
ダイジンにとって、すずめからの「好き」「かわいい」という肯定的な感情や愛情こそが、その存在を維持するためのエネルギーだったのです。

すずめからの「大っ嫌い」という言葉は、単なる悪口ではありません。
それは、ダイジンの存在意義そのものを根底から揺るがす、力の源の喪失を意味しました。
愛されている実感があるからこそ、彼は生命力に満ち溢れ、拒絶されることで文字通り命が削られていく。
この痛々しい姿は、観客に彼の行動が「すずめに愛されたい」という、あまりにも切実な欲求に基づいていたことを強く印象付けました。

「かわいい」のに「嫌い」と物議を醸す理由を分析

ダイジンは、間違いなく『すずめの戸締まり』で最も物議を醸したキャラクターです。
SNSでは「ダイジンかわいい!
」という声が溢れる一方で、「ダイジンの行動が理解できない」「自分勝手で嫌い」といった否定的な意見も数多く見られました。
新海誠監督自身も、ダイジンがここまで大きな反響を呼ぶとは予想していなかったと語っています。
なぜ彼は、これほどまでに観客の感情を二分させたのでしょうか。

その最大の理由は、彼の「圧倒的なかわいらしさ」と「倫理的に許容しがたい行動」のギャップにあります。
上向きにカールしたヒゲ、大きな瞳、猫らしい気まぐれな仕草など、そのデザインは誰もが「かわいい」と感じる魅力に満ちています。
観客は無意識のうちに、このかわいいキャラクターに感情移入し、「味方」であってほしいと願います。

しかし、その期待は草太を椅子に変えるという衝撃的な行動によって裏切られます。
かわいらしい見た目のキャラクターが、主人公たちを苦しめる原因を作る。
この認知的な不協和が、観客に「かわいいはずなのに、やっていることは酷い」という強いストレスを与え、「嫌い」「許せない」という感情を引き起こすのです。

しかし、これは物語をより深くするための巧みな演出でもあります。
もしダイジンが恐ろしい姿の怪物であれば、観客は単純な「悪役」として彼を断罪できたでしょう。
しかし、愛らしい猫の姿をしているからこそ、私たちは彼の行動の裏にある孤独や悲しみを想像せずにはいられません。
この「かわいい」と「嫌い」の間で揺れ動く感情こそが、ダイジンというキャラクターの持つ複雑さと悲劇性を際立たせ、観客に「彼の本当の目的は何だったのか?
」と深く考えさせる原動力となっているのです。

 

銀馬 匠
構造的に見れば、ダイジンは物語を強制的に動かすための『デウス・エクス・マキナ(機械仕掛けの神)』であり、同時に物語の謎を深める『トリックスター』だ。
彼の行動原理は『すずめに愛されたい』という一点に集約されていて、そのための手段を選ばない。
非常にシンプルだが、それゆえに予測不能な、優れた脚本上の装置と言えるね。
巻本 栞
理屈ではそうかもしれません…。
でも、私は彼の行動の根底にある、途方もない孤独を感じてしまうんです。
ずっと石として誰にも知られず、ただそこに在るだけだった存在が、初めて『うちの子になる?
』なんて言われたら…。
その一言が世界の全てになってしまう気持ち、分からなくもないと思いませんか?
彼の行動は、そのたった一つの光を守るための、必死で、不器用な叫び声みたいに聞こえるんです。

 

ダイジンの正体と謎:『すずめの戸締り』の物語を読み解く鍵

ダイジンが「何がしたかったのか」を理解するためには、彼が「何者なのか」という根源的な問いに迫る必要があります。
彼の正体、そしてもう一体の要石であるサダイジンとの関係には、この物語の核心に触れる重要な秘密が隠されています。

ダイジンの正体は元人間?子供だったという説の根拠

劇中でダイジンの過去が明確に語られることはありません。
しかし、いくつかの描写から、彼の正体が「元々は人間、それも子供だったのではないか」という説が有力視されています。
その根拠は主に3つあります。

第一に、人間である草太が要石になれたという事実です。
これは、要石という存在が必ずしも生まれつきの神や精霊ではなく、人間がその役割を担うことが可能であることを示しています。

第二に、草太の祖父・羊朗のセリフです。
要石になった草太について、彼は「これから何十年もかけ、神を宿した要石になっていく」と語ります。
この言葉は、要石の「器」となった人間が、長い年月をかけて神性な存在へと変化していくプロセスを示唆しており、ダイジンもまた、かつてはそのプロセスを経た元人間であった可能性を強く匂わせます。

そして第三に、ダイジン自身の言動です。
彼の声は幼い子供のものであり、その行動原理は「すずめに好かれたい」という非常に純粋で自己中心的なものです。
これは、複雑な思考を持つ大人ではなく、感情のままに行動する子供のそれに酷似しています。

これらの根拠を総合すると、ダイジンは「過去に起きた何らかの災害を鎮めるため、人柱として要石にされた子供の成れの果て」という悲しい仮説が浮かび上がります。
例えば、ファンの間では、彼が封印されていた場所から、2016年の熊本地震を鎮めるために犠牲になったのではないか、という考察もされています。
もしこの説が真実ならば、彼の「すずめの子になりたい」という願いは、単に家族が欲しいというだけでなく、奪われた自身の子供時代を取り戻したいという、魂の叫びだったのかもしれません。
この視点に立つと、ダイジンの物語はより一層、悲劇的で切ないものとして私たちの胸に迫ります。

サダイジンとの関係性とそれぞれの役割の違い

物語の後半、東京に現れる巨大な黒猫「サダイジン」は、ダイジンを理解する上で欠かせない対照的な存在です。
ダイジンが「西(九州)の要石」であるのに対し、サダイジンは「東(東京)の要石」であり、二体で日本の災いを東西から抑える役割を担っています。
しかし、その性格や行動は正反対です。

特徴 ダイジン サダイジン
役割 西の要石(ミミズの尾を抑える) 東の要石(ミミズの頭を抑える)
外見 小さな白い猫 大きな黒い猫
性格 子供っぽく無邪気、感情的 成熟しており、威厳がある
言動 すずめに懐き、自由を求める 役目を理解し、ダイジンや人間を諭す
すずめ達への関わり方 翻弄しつつも結果的に導く 直接的に介入し、事態を収拾する

ダイジンが自分の役目から逃れ、個人的な感情で動く「未熟な子供」であるとすれば、サダイジンは自らの宿命を受け入れ、より大きな視点で物事を判断する「成熟した大人」と言えるでしょう。
草太の祖父がサダイジンに対して敬意のこもった態度で接するのに対し、草太がダイジンを単なる「要石」としてぞんざいに扱う場面からも、両者の格の違いがうかがえます。

サダイジンは、すずめと環叔母さんの間に隠された本音をぶつけさせたり、要石に戻ることをためらうダイジンを諭したりと、物語の停滞を打破し、登場人物たちの成長を促す役割を果たします。
いわば、サダイジンはダイジンにとっての「親」や「師」のような存在であり、彼の登場によって、ダイジンは初めて自分のわがままな行動を省み、要石としての責任と向き合うことを余儀なくされるのです。

「すずめの子になれなかった」というセリフの切ない意味

物語のクライマックス、常世(あのよ)でミミズを封印する場面で、ダイジンは彼の物語を締めくくる、最も悲しく、最も重要なセリフを口にします。
すずめが自ら要石になろうとしたのを止め、草太を元の姿に戻した後、彼はこう言います。

「だいじんはね──すずめの子にはなれなかった」

そして、「すずめのてで もとにもどして」と続けます。
この言葉は、ダイジンが旅を通じて辿り着いた、一つの「答え」でした。

「すずめの子になる」こと。
それは、彼が何よりも望んだ、個人的な幸せの形でした。
しかし、旅の過程で彼は理解してしまったのです。
すずめにとっての本当の幸せは、自分が隣にいることではなく、草太が無事であること、そして人々が暮らすこの世界が守られることなのだと。

すずめの幸せを本気で願うならば、自分が「すずめの子」になるという夢を諦め、本来の姿である「要石」に戻らなければならない。
この二つは、決して両立しない。
その残酷な真実を受け入れた瞬間、ダイジンは初めて、自己の欲望よりも他者の幸福を優先するという「愛」の本当の意味を知り、精神的な成長を遂げたのです。

「すずめの子にはなれなかった」という言葉は、夢が破れたことへの諦念であると同時に、すずめへの愛のために自らの宿命を受け入れるという、彼の気高く、そしてあまりにも切ない決意表明でした。
大好きなすずめの手で、自分を「要石」という元の役割に戻してもらうこと。
それが、彼が最後に選んだ、最高の愛情表現だったのです。

結局『すずめの戸締り』が伝えたかったことは何ですか?

ダイジンの自己犠牲によって物語は一つの結末を迎えますが、彼の物語を通して、新海誠監督は何を伝えたかったのでしょうか。
監督はインタビューで、この映画を「場所を悼む物語」にしたかったと語っています。
かつては人々の営みで賑わっていた場所が、過疎化や災害によって廃墟となっていく。
そうした忘れ去られた場所に眠る人々の想いを「戸締まり」という行為で鎮め、弔う旅。
それが『すずめの戸締まり』の根幹にあります。

そして、このテーマは2011年に起きた東日本大震災の記憶と分かちがたく結びついています。
多くの命や日常が失われた巨大な災害の記憶と、私たちはどう向き合っていくべきか。
この映画は、その問いに対する一つの答えを提示しています。
それは、過去を忘れるのではなく、きちんと向き合い、その上で「行ってきます」と未来へ向かって歩き出すこと。

ダイジンの物語は、この大きなテーマを象徴する存在です。
彼は、過去の災害を鎮めるために忘れ去られていた「犠牲」そのものです。
その忘れられた存在をすずめが見つけ出し、一時的であれ愛情を注ぎ、関わりを持つ。
そして最後には、感謝と共に再びその役割へと送り出す。
このプロセスは、私たちが過去の災害やそれに伴う多くの犠牲と向き合い、その記憶を胸に刻みながらも、未来へ進んでいくべきだというメッセージと重なります。

ダイジンは、世界を救うために犠牲になった、名もなき存在のメタファーです。
彼の悲しい物語は、私たちの平和な日常が、そうした無数の忘れられた犠牲の上に成り立っているという事実を、静かに、しかし力強く伝えているのです。

【まとめ】すずめの戸締り ダイジンが何がしたかったのかを総括

最後に、この記事で考察してきた「すずめの戸締り ダイジンが何がしたかったのか」についての結論をまとめます。

  • ダイジンの行動は、「すずめと一緒にいたい」という子供らしい個人的な願いと、「災いを防ぐ」という要石としての公的な役目との間で葛藤した結果でした。
  • 当初は草太を要石の身代わりにすることで自由を得ようとしましたが、同時に、すずめを戸締まりの旅へと導き、彼女が心の傷を癒す手助けをする案内役としての側面も持っていました。
  • すずめに拒絶されて痩せ細ったのは、彼の存在が「愛されること」によって成り立っており、愛情が彼の生命力そのものであったことを示しています。
  • 彼の正体は、過去の災害で人柱として犠牲になった子供の成れの果てである可能性が強く示唆されており、物語に深い悲劇性を与えています。
  • 最終的に、すずめへの愛から自ら要石に戻ることを選び、「すずめの子になる」という個人的な夢を諦めることで、世界を救うという大いなる役目を果たしました。
    彼の物語は、忘れられた犠牲を悼み、未来へ進むという映画のテーマそのものを体現しています。

 

参考資料

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