新海誠監督の集大成とも言われる映画『すずめの戸締り』。
美しい映像と心揺さぶる音楽、そして主人公・鈴芽(すずめ)の成長を描く物語は、多くの観客の涙を誘いました。
この壮大な物語の中で、ひときわ神秘的な響きを持って私たちの耳に残るのが、草太(そうた)が唱える古式ゆかしい「呪文」です。
「かけまくもかしこき…」「謹んでお返し申す」。
これらの言葉には、一体どのような意味が込められているのでしょうか?
この記事では、『すずめの戸締り』の物語の核となる呪文(祝詞)の全文とその深い意味を、一言一句丁寧に解き明かしていきます。
さらに、物語の鍵を握る謎の猫「ダイジン」の正体や、鈴芽と草太の未来を暗示する最後のセリフに隠された感動的な伏線、そして鈴芽が旅した日本各地の廃墟のモデル地まで、あなたの疑問にすべてお答えします。
この記事のポイント4つ
- 戸締まりの呪文(祝詞)の全文と一言一句の詳しい意味
- 物語の鍵を握るダイジンや閉じ師の正体と役割
- ラストシーンのセリフ「いってきます」に隠された感動的な伏線
- 鈴芽が巡った廃墟のモデル地となった場所の全リスト
『すずめの戸締り』で草太が唱える呪文(祝詞)の全文と意味
物語の序盤、鈴芽が迷い込んだ廃墟で初めて目にする「戸締まり」の儀式。
そこで青年・宗像草太が唱える言葉は、古くから伝わる呪文のように聞こえますが、その一つ一つのフレーズには、日本の自然観や死生観に根差した深い意味が込められています。
ここでは、その祝詞の全文から、各フレーズに隠された意味までを徹底的に解説します。
戸締まりで唱える言葉(祝詞)の全文

まず、草太が「後ろ戸」を閉じる際に唱える祝詞の全文を確認しましょう。
この言葉は、儀式の荘厳さと、これから行われることの重要性を観客に強く印象付けます。
「かけまくもかしこき日不見(ひみず)の神よ。
遠つ御祖(みおや)の産土(うぶすな)よ。
久しく拝領(はいりょう)つかまつったこの山河、
かしこみかしこみ、謹んでお返し申す」
この祝詞は、実際に古くから存在するものではなく、新海誠監督が神道における祝詞を研究し、この映画のために創作したオリジナルの言葉です。
しかし、その言葉の選び方や構成には、日本の伝統的な祈りの形式が色濃く反映されており、物語に圧倒的なリアリティと深みを与えています。
「かけまくもかしこき」の漢字と本来の意味は?
祝詞の冒頭を飾る「かけまくもかしこき」という言葉。
非常に古風な響きですが、これは実際の祝詞でも頻繁に使われる定型句です。
この言葉は、漢字では「懸けまくも畏き」と表記されます。
その意味は、「口に出して申し上げるのも、はばかられるほど畏(おそ)れ多い」という、神仏や高貴な存在に対する最大限の敬意を示す表現です。
万葉仮名などを用いた古い文献では「掛介麻久母畏伎」といった表記も見られ、神主が神前で祈りを捧げる際の、厳粛な心構えを表しています。
草太がこの言葉から儀式を始めるのは、これから対峙する土地の神々や、人知を超えた巨大な力への深い畏敬の念を示すためです。
単なるおまじないではなく、神聖な存在との対話の始まりを告げる、非常に重要なフレーズなのです。
祝詞の各フレーズに込められた深い意味を解説
草太が唱える祝詞は、一見すると難解に聞こえるかもしれません。
しかし、各フレーズを分解してみると、そこには人間と自然との関係性を深く見つめる、感動的なメッセージが隠されています。
以下の表で、その意味を一つずつ見ていきましょう。
| フレーズ | 意味 | 解説 |
|---|---|---|
| 日不見の神よ (ひみずのかみよ) | 日の光が届かない地下の神、あるいは火と水の神よ | 新海監督によれば、これは「日が見えない」場所、つまり地下に潜む災い「ミミズ」そのものや、大地を司る神に呼びかける言葉です。 同時に「火」と「水」という、時に恵みとなり時に災いとなる根源的な力への呼びかけでもあります。 |
| 遠つ御祖の産土よ (とおつみおやのうぶすなよ) | 私たちの遠い祖先から代々続く、この土地の神よ | 「産土」とは、その土地で生まれた人々を守る神様のこと。 ここでは、遠い昔からその土地に暮らし、今はもういなくなってしまった人々を見守ってきた神霊に敬意を払っています。 |
| 久しく拝領つかまつったこの山河 (ひさしくはいりょうつかまつったこのさんが) | 長い間、お借りしておりました、この山や川を | 「拝領」とは、身分の高い者から物をいただくという意味。 人間は自然の所有者ではなく、神々から一時的に「お借りしている」に過ぎないという、日本古来の自然観が表れています。 |
| かしこみかしこみ (かしこみかしこみ) | 畏れ多く、深く敬う気持ちを込めて | 「畏し(かしこし)」という言葉を繰り返すことで、神への畏敬の念を最大限に強調しています。 人間の小ささと、自然の偉大さを深く認識している閉じ師の謙虚な姿勢がうかがえます。 |
| 謹んでお返し申す (つつしんでおかえしもウス) | 謹んでお返しいたします | 戸締まりの儀式の核心部分。 かつて人々が暮らし、その想いが宿っていた土地を、人がいなくなった今、再び神々の元へお返しするという宣言です。 |
この祝詞全体を通して語られるのは、「人間は自然の一部であり、土地は神からの借り物である」という思想です。
人々が賑やかに暮らしていた場所が廃墟となり、その記憶が薄れていく中で、閉じ師は土地への感謝と敬意を忘れず、静かにその場所を神様へとお返しする。
戸締まりの儀式は、災いを封じるだけでなく、失われた営みへの弔いでもあるのです。
「かしこみかしこみ謹んでお返し申す」のセリフに込められた想い
祝詞の最後のフレーズ「謹んでお返し申す」は、戸締まりという行為の本質を最もよく表しています。
なぜ、土地を「お返し」する必要があるのでしょうか。
劇中で草太の祖父・羊朗(ひつじろう)は、「人の心の重さが、その土地を鎮めてるんだ」と語ります。
人々が暮らし、笑い、泣き、様々な想いを重ねてきた場所には、その記憶の「重し」が働いており、それが土地を安定させている。
しかし、過疎化や災害によって人々が去り、その場所が忘れ去られると、記憶の重しが失われ、土地は不安定になります。
その歪みから、災いをもたらす「後ろ戸」が開いてしまうのです。
つまり、「お返し申す」という行為は、失われた人々の想いの代わりに、閉じ師が土地への最大限の感謝と敬意を捧げることで、その場所を再び鎮める儀式なのです。
それは、廃墟となった場所への一方的な封印ではなく、かつてそこにあった営みへの深いリスペクトに基づいた、静かで優しい「お別れ」の挨拶と言えるでしょう。
この考え方は、単なるファンタジーの設定を超えて、私たちが今、日本各地で直面している過疎化や、忘れられゆく故郷という現実の問題にも静かに寄り添っています。
物語の鍵を握る神様「ダイジン」の正体と役割

『すずめの戸締り』の物語を大きく動かす存在が、白い子猫の姿をした神様「ダイジン」です。
その愛らしい見た目とは裏腹に、彼の存在は物語の核心に深く関わっています。
ダイジンの正体は、日本の西の端で災い(ミミズ)を抑えていた「要石(かなめいし)」です。
要石とは、地下で暴れる巨大なミミズの頭と尾を地面に縫い付け、地震を防ぐ役割を持つ神聖な存在。
日本には東と西に二つの要石があり、ダイジンはそのうちの西の要石でした。
物語は、鈴芽が偶然にもこのダイジンを要石の状態から解放してしまったことから始まります。
自由になったダイジンは、草太に呪いをかけて椅子の姿に変え、鈴芽を戸締まりの旅へと導きます。
最初は気まぐれで、どこか意地悪にも見える彼の行動ですが、物語が進むにつれてその真意が見えてきます。
要石としての長い孤独な時間から自分を解放してくれた鈴芽に懐き、「すずめの子になる」ことを強く望んでいたのです。

『すずめの子になる』って言った時の嬉しそうな顔を思うと、最後は自分の役目に戻るって決めたのが切なくて…。

要石という『機能』から解放された彼は、初めて個人の『感情』、つまり鈴芽からの愛情を求めた。
だが、最終的には鈴芽の大切なものを守るため、自ら再びシステムの一部に戻ることを選んだ。
これは単なる自己犠牲じゃない、愛を知った者による、極めて能動的な選択だ。
物語構造上、見事なキャラクターアークだよ。
ダイジンのような要石は、実は元々人間であった可能性が示唆されています。
かつて、大きな災害を鎮めるために自ら人柱(ひとばしら)となった人間が、長い年月をかけて神を宿し、要石へと変化していく。
ダイジンもまた、そうした悲しい宿命を背負った存在だったのかもしれません。
彼が最後に自らの意思で再び要石に戻る決断をしたのは、鈴芽が草太を想う自己犠牲的な愛を目の当たりにしたからでした。
愛を知ったからこそ、愛する人の大切なものを守るために、彼は再び孤独な役割へと戻っていったのです。
ダイジンは、単なるマスコットキャラクターではなく、愛と犠牲のテーマを体現する、もう一人の主人公と言えるでしょう。
災いを鎮める「閉じ師」とはどんな存在?

ダイジンと共に物語の重要な役割を担うのが、草太が家業として受け継ぐ「閉じ師(とじし)」です。
閉じ師とは、日本各地に現れる災いの扉「後ろ戸」を探し出し、それが完全に開いてしまう前に閉じることを使命とする一族です。
彼らの仕事は、物理的に扉を閉めるだけではありません。
戸締まりの儀式を行う際、閉じ師は「その土地にかつて住んでいた人々の声を聴かなければならない」のです。
廃墟に残された椅子や机、子供の落書き。
そうしたものに触れ、そこで営まれていた日々の暮らしに想いを馳せることで、初めて土地の神々と対話し、扉を閉じる資格を得るのです。
つまり、閉じ師は災いを防ぐ者であると同時に、失われた人々の記憶を弔い、語り継ぐ「鎮魂の代行者」でもあります。
草太はこの重要な使命を背負いながらも、教師になるという夢を抱く一人の青年です。
彼の存在は、神話的な世界の出来事と、私たちの生きる現代とを繋ぐ架け橋となっています。
鈴芽が彼の旅に同行することで、彼女自身もまた、過去の記憶と向き合い、未来を生きる力を得ていくのです。
『すずめの戸締り』の呪文にまつわる物語の謎と伏線
草太が唱える祝詞は、物語の根幹をなす重要な要素ですが、それ以外にも『すずめの戸締り』には、観る者の心を深く打つ印象的なセリフや、物語の謎を解く鍵となる伏線が数多く散りばめられています。
ここでは、物語のクライマックスに関わるセリフの謎や、鈴芽と草太の関係性の行方について、さらに深く掘り下げていきます。
草太が最後はどうなったのか?鈴芽との関係の行方

物語の中盤、東京に現れた巨大なミミズを食い止めるため、草太は自らが新たな「要石」となり、常世(とこよ)へと姿を消してしまいます。
愛する人を失い、絶望の淵に立たされた鈴芽ですが、彼女は草太を救い出すことを諦めませんでした。
草太が要石になる直前に残した「俺は君に逢えたから…!」という言葉は、鈴芽との出会いが、彼の過酷な運命に意味を与えてくれたことを示しています。
それは、鈴芽にとっても同じでした。
草太を助けたいという強い想いが、彼女に過去のトラウマと向き合う勇気を与えます。
クライマックスで鈴芽は、ダイジンや草太の友人・芹澤の助けを借りて、ついに草太を常世から連れ戻すことに成功します。
人間に戻った草太は、鈴芽を強く抱きしめ、「逢いに行くよ、必ず」と再会を約束します。

二人の関係は、単純な恋愛感情だけでは語れません。
共に死線を乗り越え、互いの存在によって救われた、運命共同体とも言える強い絆で結ばれています。
映画のラストでは、草太が約束通り宮崎の鈴芽の元を訪れ、物語は幕を閉じます。
彼らがこれからどのような関係を築いていくのかは描かれていませんが、そこには未来への確かな希望が感じられます。
共に食事をしたり、笑い合ったりといった、旅の中では叶わなかった「日常」を、これから二人で積み重ねていくのでしょう。
スズメの戸締りの最後のセリフ「いってきます」が持つ本当の意味
『すずめの戸締り』という物語において、草太が唱える祝詞と同じくらい、あるいはそれ以上に重要な意味を持つのが、鈴芽が最後に発する「いってきます」という一言です。
このセリフこそ、彼女の魂の救済と成長を象徴する、最も重要な「呪文」と言えるでしょう。
物語のクライマックス、鈴芽は故郷の「後ろ戸」から、全ての時間が同時に存在する異世界「常世」へと入ります。
そこで彼女が出会ったのは、幼い頃の自分自身でした。
12年前のあの日、母親を失い、常世に迷い込んで泣きじゃくっていた4歳の鈴芽。
彼女がずっと夢の中で見ていた、優しく自分を抱きしめてくれた女性の正体は、亡くなった母ではなく、未来からやってきた高校生の自分だったのです。
ここで、二つの「呪文」の対比が鮮明になります。
- 「お返し申す」: 世界の秩序を取り戻すための、公的な儀式の言葉。
- 「いってきます」: 自分の過去を救い、未来へ踏み出すための、私的な再生の言葉。
「いってきます」という言葉は、日本語において「必ず帰ってくる」という約束を内包しています。
あの日、母が「いってきます」と言って出かけ、二度と帰ってこなかったことが、鈴芽の心の深い傷となっていました。
その彼女が、過去の自分に対して「私はあなたの明日だよ」と語りかけ、自らの手で思い出の椅子を渡し、そして現世へと戻る扉を閉じて「いってきます」と告げる。
これは、彼女がようやく過去の喪失を受け入れ、未来に向かって自分の足で歩き出すことを決意した瞬間なのです。
『すずめの戸締まり』とは、日本各地の災いの扉を閉じる物語であると同時に、鈴芽が自身の心の傷という「扉」に鍵をかけ、新たな日常へと旅立っていく物語でもあったのです。
この最後のセリフによって、映画のタイトルは、壮大な神話から、一人の少女の魂の再生の物語へと見事に着地します。
鈴芽が旅した廃墟はどこ?モデル地を一覧で紹介

鈴芽と草太の旅は、九州の宮崎から始まり、愛媛、神戸、東京、そして東北へと至る、日本を縦断する壮大なロードムービーです。
彼らが「戸締まり」を行う場所は、いずれもかつて人々の営みがあった廃墟。
これらの場所には、実在する風景をモデルにしたものが数多く登場し、ファンの間では「聖地巡礼」も盛んに行われています。

ここでは、劇中に登場した廃墟や風景のモデルとなった場所を、地方ごとに一覧でご紹介します。
この旅路は、日本の南西から北東へ、奇しくも災害の記憶をたどるようなルートになっていることにも気づかされます。
| 地方 | 劇中の場所 | モデルとなった場所(一例) | 所在地 | 劇中の描写 |
|---|---|---|---|---|
| 九州 | 鈴芽が住む港町 | 日南市 油津港 | 宮崎県 | 鈴芽が通学途中の坂道で草太と初めて出会う場所。 |
| 廃墟の円形建物 | 旧豊後森機関庫 | 大分県 | 鈴芽が最初の「後ろ戸」を見つける、キービジュアルにもなった印象的な廃墟。 | |
| 廃墟の温泉街 | 湯平温泉、杖立温泉、湯の鶴温泉 | 大分県, 熊本県 | 最初のミミズが現れ、ダイジンが草太に呪いをかける温泉街。 | |
| 四国 | 鈴芽が降り立つ港 | 八幡浜港 | 愛媛県 | 九州からフェリーで四国に渡り、最初に到着する港。 |
| 廃校 | (特定のモデルは不明だが愛媛県内が舞台) | 愛媛県 | 鈴芽と椅子姿の草太が協力して二つ目の扉を閉じる学校。 | |
| 近畿 | 廃遊園地 | 神戸おとぎの国、鷲羽山ハイランドへ続く道 | 兵庫県, 岡山県 | 観覧車を舞台に、神戸の街を襲う巨大なミミズとの攻防が繰り広げられる。 |
| ルミのスナックがある商店街 | 東山商店街、二宮商店街 | 兵庫県 | 神戸で出会ったルミの家に泊めてもらい、束の間の日常を過ごす場所。 | |
| 関東 | 東京の「後ろ戸」 | 皇居周辺(牛ヶ淵、清水門など) | 東京都 | 地下深くにある巨大な後ろ戸からミミズが出現し、草太が要石となる。 |
| 鈴芽が川に飛び込む橋 | 聖橋(JR御茶ノ水駅) | 東京都 | 草太を追って、地下へと続く扉にたどり着くために鈴芽が飛び込む橋。 | |
| 東北 | 鈴芽の故郷 | 岩手県大槌町、山田町(三陸鉄道 織笠駅) | 岩手県 | 物語の終着点。 最後の後ろ戸があり、鈴芽が自身の過去と対峙する場所。 |
これらの場所は、ただの背景ではありません。
温泉街、学校、遊園地といった、かつては人々の笑顔と活気に満ちていた場所が、今は静かな廃墟となっている。
その寂寥感と、そこに眠る温かい記憶の対比こそが、『すずめの戸締り』という物語の根底にあるテーマを深く描き出しているのです。
まとめ:『すずめの戸締り』の呪文が物語るテーマ
この記事では、『すずめの戸締り』に登場する呪文やセリフの深い意味について、多角的に解説してきました。
最後に、本記事の要点を改めてまとめます。
- 『すずめの戸締り』の呪文は、神への畏敬と土地への感謝を示す、映画オリジナルの祝詞であること。
- 「お返し申す」という言葉には、人々が去った土地を神に返し、鎮めるという意味が込められていること。
- ダイジンや草太が担う「要石」や「閉じ師」の役目は、人々の記憶と密接に結びついた、災害を鎮めるための神聖な務めであること。
- 最も重要な呪文は、鈴芽が過去の自分を救い、未来へ進む決意を込めた最後のセリフ「いってきます」であること。
草太が唱える荘厳な祝詞は、私たちが自然の前でいかに謙虚であるべきかを教えてくれます。
そして、鈴芽が最後に紡いだ日常の言葉は、どんなに辛い過去があっても、人は未来を信じて生きていけるのだという、力強い希望のメッセージを伝えてくれます。
『すずめの戸締り』は、壮大な神話的スケールと、一人の少女のパーソナルな心の旅路を見事に融合させた傑作です。
そこに散りばめられた「呪文」の意味を知ることで、あなたはきっと、この物語が持つ本当の輝きと感動に、改めて気づかされることでしょう。