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かぐや姫の物語の帝のアゴの理由は?鋭利な角度や気持ち悪いと言われる心理を徹底考察

2013年に公開されたスタジオジブリの高畑勲監督による遺作『かぐや姫の物語』。製作期間8年、巨額の製作費を投じて描かれたこの作品は、日本のアニメーション史に残る傑作として世界中で絶賛されました。しかし、テレビ放送されるたびに、物語の感動と同じくらい、あるいはそれ以上に視聴者の話題をさらう「ある要素」が存在します。

それは、物語の終盤に登場する最高権力者、**帝(みかど)**の存在です。

登場した瞬間、画面を突き破らんばかりに鋭く伸びた長いアゴ。かぐや姫の背後に忍び寄り、有無を言わさず抱きしめるその行動。ネット上では「アゴが鋭利すぎる」「抱きつき方が気持ち悪い」「顎で人を刺せそう」といった感想が飛び交い、ある種のトラウマシーンとして語り継がれています。

なぜ、天下のジブリが、そしてリアリズムを追求した高畑監督が、あのような極端なキャラクターデザインを採用したのでしょうか?そこには、単なる「作画崩壊」や「ギャグ」では片付けられない、**緻密に計算された演出意図と、平安時代の美意識への深い洞察**が隠されていました。

本記事では、帝のアゴが長い本当の理由から、声優・中村七之助さんの演技の秘密、ネットで話題の「アゴゲー」の噂、そして物語の核心である「かぐや姫の罪」との関係まで、全方位から徹底的に解説していきます。

この記事でわかること

  • 帝のアゴが極端に長い「美術的・演出的」な2つの理由
  • 「気持ち悪い」と検索される抱きつきシーンの心理的メカニズム
  • 「私がこうすることで」のセリフに隠された帝の異常な自己愛
  • ネット掲示板(なんJ)やゲーム界隈での帝の扱われ方
  • あのアゴが、かぐや姫を月に帰す決定打となった悲しい真実
巻本 栞
巻本 栞
初めて見た時、本当にびっくりしました!感動的なシーンの途中なのに、あのアゴが入ってきた瞬間に「えっ!?」って時が止まったのを覚えています。あれってやっぱり、笑わせようとしてるんでしょうか?
銀馬 匠
銀馬 匠
いいや、栞さん。あれは決してギャグではないんだ。高畑勲監督は「リアリティ」の鬼だ。あのアゴの長さこそが、当時の貴族社会の「リアル」であり、現代人との「断絶」を表すための最も効果的な武器なんだよ。詳しく紐解いていこう。
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かぐや姫の物語の帝のアゴの理由は?鋭利な角度とデザインの秘密

まず、最も多くの人が抱く疑問、「なぜ帝のアゴはあんなに長いのか」について解説します。結論から言えば、これは**「平安時代の絵巻物の様式美の徹底的な再現」**と**「権力者の異質性の強調」**という2つの側面から成り立っています。

帝のアゴが長い決定的な理由は何ですか?
主に2つの理由があります。 1つ目は、平安時代の絵巻物に描かれる高貴な男性の特徴(引目鉤鼻・ふくよかな顎)を現代のアニメーションとして極端にデフォルメしたためです。 2つ目は、かぐや姫や翁たち「人間味のあるキャラクター」とは住む世界が違う「絶対的な権力者」であることを、視覚的な違和感として観客に植え付けるためです。
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平安時代の美意識「引目鉤鼻」の忠実な再現

『かぐや姫の物語』の作画スタイルは、従来のアニメのようなはっきりとした線画ではなく、ラフな鉛筆のタッチや水彩画のような淡い色彩が特徴です。これは「絵巻物がそのまま動き出したような世界」を目指したためです。

高畑監督は、『伴大納言絵巻』や『源氏物語絵巻』などの古典資料を徹底的に研究しました。当時の美男子の条件は、現代の「パッチリした目、小顔」とは全く異なります。

  • 引目(ひきめ):糸のように細く引かれた目。感情を表に出さない高貴さの証。
  • 鉤鼻(かぎばな):「く」の字に曲がった高い鼻。
  • 豊かな頬と長い顎:ふくよかで面長な輪郭は、富と身分の高さを象徴します。

帝のデザインは、この「当時のイケメン像」をそのまま採用しています。現代人の目から見れば「変な顔」に見えますが、平安時代の価値観では、彼こそが**「この世で最も美しい男」**なのです。このギャップこそが、作品に深みを与えています。

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帝のアゴの角度は何度?鋭角すぎるデザインの意図

ネット上では、帝のアゴの角度について**「67度」**だとか**「鋭角三角形」**だとか、様々な検証が行われています。

実際に画面で確認すると、横顔のショットではアゴの先端が鼻の高さよりも前に突き出ているシーンさえあります。角度としては60度前後鋭さに見えますが、重要なのは正確な角度の数値ではありません。

あの鋭さは、**「他者を寄せ付けない攻撃性」**と**「自分自身への陶酔」**を視覚化しています。丸みを帯びたかぐや姫のデザインに対し、帝だけが直線的で鋭利なパーツで構成されていること自体が、彼が「異物」であることを物語っているのです。

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高畑勲監督が目指した「バランスの崩壊」

高畑勲監督は、アニメーションにおいて「リアリティ」とは「写真のようにそっくりに描くこと」ではないと考えていました。むしろ、対象の本質を掴んでデフォルメすることこそが、真のリアリティを生むという哲学を持っています。

帝のアゴが長いことで、画面全体のバランスは崩れます。視聴者は「なんだこいつは?」と違和感を覚えます。
この**「違和感」**こそが監督の狙いです。

「話が通じない」「常識が通用しない」「得体が知れない」。かぐや姫が帝に対して感じたであろう恐怖や困惑を、観客にも同じように感じさせる装置として、あのアゴは機能しているのです。

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帝のアゴに関連する「あごだし」の誤解

余談ですが、検索候補に「かぐや姫 帝 あごだし」というワードが出現することがあります。これを見て「帝のアゴで出汁をとるのか?」「そういうコラボ商品があったのか?」と勘違いする方がいますが、これは完全に無関係です。

「あごだし」はトビウオ(あご)から取る出汁のこと。おそらく、帝のアゴがあまりにも話題になったため、**「あご」という単語の検索ボリュームが増え、関連語として誤って結びついた**もの推測されます。帝のアゴから美味しい出汁は出ませんのでご注意ください。

巻本 栞
巻本 栞
あはは!まさか「あごだし」まで関連ワードに出てくるなんて。でも、それくらいあのアゴがみんなの記憶に刻まれてるってことですよね。平和な勘違いでちょっと安心しました。

帝が「気持ち悪い」と言われる理由と抱きつきシーンの心理描写

帝というキャラクターを決定づけたのは、やはりあのアゴだけでなく、かぐや姫に対する一連の振る舞いです。特に「後ろから抱きつく(バックハグ)」シーンは、多くの視聴者に戦慄を与えました。

ここでは、なぜあのシーンがそこまで「気持ち悪い」と感じさせるのか、セリフや行動、そして声を担当した声優の演技から、その心理的要因を深掘りします。

帝の抱きつきシーンが不快に感じるのはなぜですか?
相手の同意なくパーソナルスペースに侵入し、「私の求愛を拒む女性はいない」という一方的な自己愛を押し付けているからです。また、長いアゴをかぐや姫の肩に乗せるような独特の密着描写が、生理的な嫌悪感や「逃げられない恐怖」を煽るように演出されています。

「私がこうすることで」のセリフと読み方

スタジオジブリ公式:かぐや姫の物語
スタジオジブリ公式:かぐや姫の物語

このシーンで帝が放つセリフは、彼の異常性を象徴する名言(迷言)として知られています。

「私がこうすることで、喜ばぬ女はいなかった」

このセリフの恐ろしい点は、彼が**「100%の善意」**で言っていることです。「帝である私に愛されることは、女性にとって無上の喜びであるはずだ」という前提を、微塵も疑っていません。

また、かぐや姫に対して「私のものになれ」と迫る際、「みかど(帝)」という一人称や、古風な言い回しを使うため、現代の感覚ではさらに高圧的に聞こえます。読み方はそのまま現代語と同じですが、そのイントネーションには、他者を支配することに慣れきった人間の傲慢さが滲み出ています。

アゴによる「物理的拘束」とバックハグの恐怖

通常、恋愛映画におけるバックハグは胸キュンシーンですが、帝の場合はホラー映画の演出に近いです。

  1. 音のない接近:帝はまるで幽霊のように、足音もなくかぐや姫の背後に忍び寄ります。
  2. 長い袖による捕獲:平安貴族特有の大きな袖で、かぐや姫を包み込むようにして視界を奪います。
  3. アゴの配置:鋭利なアゴをかぐや姫の首筋や肩に「置く」ように密着させます。

この時、かぐや姫の表情は恐怖に歪みます。あのアゴは、単なる顔の一部ではなく、**「逃げ場のない檻」の錠前**のような役割を果たしているのです。

帝の声優・中村七之助の演技力が光る

中村七之助
中村屋公式Webサイトより:中村七之助

この強烈なキャラクターに命を吹き込んだのは、歌舞伎役者の**中村七之助(なかむら しちのすけ)**さんです。

当初、高畑監督はこの役に誰を起用するか悩みましたが、リアリズムと様式美を兼ね備えた「雅な声」を出せるのは、現代の俳優ではなく伝統芸能の世界に生きる人物だと考えました。

声の気品・雅さ 5.0
浮世離れした響き 5.0
自己愛の表現力 4.5
アゴとの親和性 5.0
総合評価 5.0
 

中村七之助さんの声には、独特の「揺らぎ」と「高貴さ」があります。現代口語とは違うリズムで話すその声は、帝が**「人間界のルールとは別の次元で生きている存在」**であることを完璧に表現しました。

もし、これが一般的なイケメンボイスの声優であったなら、単なる「キザなキャラクター」になっていたでしょう。七之助さんの声だったからこそ、「得体の知れない権力者」としての不気味さが際立ったのです。

銀馬 匠
銀馬 匠
七之助さんのキャスティングは見事と言うほかないね。あのアゴの動きと声がリンクした瞬間、帝というキャラクターは「歴史上の人物」ではなく、強烈な「個」として完成したんだ。

なんJやSNSでの「帝」の扱われ方

帝のインパクトは、インターネット上のコミュニティ、特に「なんJ(なんでも実況J)」などの掲示板でも大きな話題となりました。

放送時には実況スレが立ち、帝が登場するたびに以下のような反応で埋め尽くされます。

  • 「アゴwwwww」
  • 「刺さる刺さる!」
  • 「帝が出てくると物語の内容が入ってこない」
  • 「ある意味、最強のメンタル」

当初は「気持ち悪い」という反応が主でしたが、次第にそのブレないキャラクター性が評価(?)され、**「ネタキャラ」**としての地位を確立しました。コラ画像が作られたり、アゴの長さを競う書き込みがあったりと、恐怖の対象から「愛される変人」へと変化していったのです。

帝の顎(アゴ)ゲームとは?

検索ワードにある「かぐや姫 帝 顎 ゲーム」ですが、これは公式に発売されているゲームのことではありません。

ネット上で、帝の画像を使った**「アゴでバランスを取るコラージュ画像」**や、Flashゲーム全盛期のような**「アゴを伸ばすミニゲーム(ファンメイドや想像上のネタ)」**が話題になったことに由来します。

また、一部のユーザー間では、映画を見ながら「帝のアゴが画面のどこまで達するか予想する」という遊びが行われることもあり、これらが総じて「帝のゲーム」として認識されているようです。

かぐや姫は何の罪を犯した?帝がトリガーとなった悲劇

物語のキャッチコピー「姫の犯した罪と罰」。
かぐや姫の罪とは、一般的に**「清らかな月の住人でありながら、穢れ(けがれ)のある地球(人間界)に憧れを持ってしまったこと」**と解釈されます。

では、その罪に対する「罰」において、帝はどのような役割を果たしたのでしょうか?

実は、**帝こそが、かぐや姫を地球から追い出した張本人**と言えます。

かぐや姫は、求婚してくる5人の貴公子たちには失望しましたが、それでもまだ「地球にいたい」という思いを持っていました。しかし、地上の最高権力者である帝から、あのように一方的で暴力的な求愛(抱きつき)を受けたことで、彼女は絶望します。

「この場所(地球)には、私の心安らぐ場所はない」

そう悟ってしまった瞬間、彼女は無意識に「月に帰りたい」と願ってしまいました。帝のアゴと、その傲慢な態度は、かぐや姫にとって**「地球(人間界)の醜悪さの極み」**として映ったのです。

巻本 栞
巻本 栞
そう考えると、すごく悲しい話ですよね…。帝が出てくるまでは、まだ自然の中で生きる喜びがあったのに。あのアゴを見るたびに、かぐや姫の絶望を思い出して泣けてきます。

帝の「その後」はどうなった?

かぐや姫の物語(2013)
かぐや姫の物語(2013)

映画のラスト、かぐや姫が月に帰る際、帝を含む地上の人々はなす術もなくそれを見送ります。

原作の『竹取物語』では、かぐや姫から「不死の薬」を贈られた帝が、「姫のいない世で不死になっても意味がない」と嘆き、日本で一番高い山(富士山)で薬を焼かせる…というロマンチックな結末が描かれています。

しかし、高畑版の帝は最後まで「自分の思い通りにならなかった」ことへの呆然とした表情を見せるのみです。ここにも、原作を再構築し、現代的な「権力者の限界」を描こうとした監督の意図が見え隠れします。

まとめ:帝のアゴは物語の「毒」であり「鍵」である

以上、帝のアゴの理由から、その心理的影響までを解説しました。

一見すると滑稽で、気持ち悪くさえ見えるあのアゴ。しかし、それは『かぐや姫の物語』という作品が持つ「美しさ」と「残酷さ」を際立たせるために、必要不可欠な要素でした。

記事のポイントまとめ

  • アゴの理由:平安時代の美男子の条件(引目鉤鼻)を極端にデフォルメし、権力者の異質性を表現した。
  • 気持ち悪い理由:「私がこうすることで」のセリフに見る一方的な自己愛と、アゴを使った物理的な圧迫感。
  • 声優の力:中村七之助の歌舞伎由来の発声が、帝に「雅」と「狂気」を与えた。
  • ネットの反応:そのインパクトから「なんJ」などでネタ化され、愛されキャラ(?)として定着。
  • 物語上の役割:かぐや姫に「地球への絶望」を与え、月に帰る願いを引き出した最大のトリガー。

次にこの映画を観る際は、帝のアゴをただ笑うだけでなく、「かぐや姫を追い詰める最後の刃」として注目してみてください。高畑勲監督が遺した映像表現の凄みが、より深く理解できるはずです。

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